1. ドルイド

 

ケルトの言葉で「ドゥル」は「オーク」、「ウィド」が「知識」を意味することから、「樫(オーク)の木の賢者」という意味です。(「ドル」は「多い」、「ウィド」が「知る」で「多く知る」という意味だという説もあり)。主にガリア(フランスあたりを中心とするヨーロッパ地方)とブリタニア(ブリテン島:イギリス)に記録が残っている「ドルイド教」の神官(僧侶と書かれている本もある)のことです。|

ドルイド教の教えとは「物質と霊魂は永遠であり、宇宙の実体は水と火が交互に支配する現象の、絶え間ない変動の下でも普遍であり、人間の魂は転生にゆだねられている。」ということでした。

 

現世での行いが悪いとその罰や報い・試練として、人間よりも低い段階(動物など?)への転生が行われました。また死後には幸福の世界(マーグ・メルドやティル・ナ・ヌグ)があり、そこでは魂が生前の主体、感情、習慣を持ち続けることが出来ると信じられていました。葬儀では死者宛の手紙や、他の死者に渡してもらう手紙などが燃やされたり、来世に行ってから返済してもらうよう、お金を貸すことさえあったということです。

 

ドルイドはよく「呪術師」などと呼ばれますが、彼らの仕事は多岐に渡っていて、自然学者であり、天文学者であり、魔術師であり、医者でもありました。ドルイドの医学とは魔法に基づいたものであったようです。争いごとをおさめるのも、彼らの仕事だったといいます。

ドルイドの権力はたいそう強く、税金や兵役(戦争に行かなくても良い)も免除されました。この特典のためにドルイドを目指したり、一族の中からドルイドを選出したいと、家族や親戚に修行へ送り出された者もいましが、適性がないと判断されると、家へ帰されたそうです。

また、ドルイドの指示に従わないと「村八分」のようにされ、これは大変不名誉なことでした。

キリスト教の伝来に伴い、ドルイドたちは迫害され、560年頃の旧都タラの放棄後にアイルランドから完全にいなくなってしまいました。

(現在はドルイドの儀式を復活させようという活動もあるようです)

 

首狩りや人身御供も時として行われたようです。

首を落とすと「あの世に再生できない」という考えがあったのかどうかは分かりませんが、戦いで首を狩るというケルトの習慣は広く見られます。

狩られた頭部は貴重なものとして神殿におさめられたりしました。イタリア北部では前216年にケルトの部族(ボイイー族)がローマの将軍ポストゥムスの頭を切り取り、それを洗った後金箔を貼り祭祀用の器として用いたことがローマの歴史家リウィウス(前59~17あるいは前64~12)によって記されています。

またボヘミアでは洞くつの中から頭蓋骨で作ったカップがその他の奉納品と一緒に発掘されています。

ドルイドは犠牲者の横隔膜の上部を突き刺し、倒れたときの姿勢、手足の痙攣、血の量と色などで占いました。神殿の中の柱かけにしたり、死ぬまで矢と槍の雨を降らせたり、柳の枝や干し草で作った巨像を立ててその中に生きたまま人間を大勢詰め込み、ドルイドが火のついたたいまつを投げ入れるというようなことも行われました。セクアヌでも触れていますが、金や銀を供物として聖なる湖などに投げ入れたりもしました。

 

 

 

2. 女魔法使い(ドルイダス=女のドルイド)

 

女のドルイドがいた、という明らかな考古学的資料はないようですが、ドルイドらしき女性は記録に残っています。(ドルイダスという名詞はどこにも見つからないのだ…すごくマイナーな言葉なのかも)

ディオドールス・シクルス(紀元前60-30)の『世界記』に「ドルイデス」という名称が出てきますが、これは「女魔法使い」という意味ではなく、哲学者や神学者を指しています。

「ドルイダス(女魔法使い)」という言葉は「actor/actress(俳優/女優)」のように女性形になったものだと思うのですが…。

 

古代ローマの地理学者ストラボン(紀元前64頃~後21頃)は、著書「地理学」でキンブリー族の女祭司についてこう記しています。

「彼女らは老齢で、髪はすでに白く、白いチュニックの上に亜麻製のクロークを羽織り、青銅の腰帯をつけ、足は裸足であった。彼女たちは剣を手にして軍の野営地に入り、囚人たちに近付き、その頭に冠をかぶせ、青銅の大鍋のところまで連れていった。…女の一人が階段をのぼり、大釜の上に身を乗り出すと、釜の縁に押さえ付けられた一人の囚人の咽を切り裂いた。他の女達はその体を切り開き、内臓を調べて自軍の勝利を予言するのだった」

チュートン(ゲルマン)族の一部族であるキンブリー族は厳密にはケルト人ではありませんが、首狩り、人身御供、聖なる大釜を利用するなど、祭儀に関してはケルト人と同じ習慣を持っていました。同時期に著作を記しているカエサル、タキトゥスなどはチュートン族の女祭司について、主な役割は占い、戦に関する予言であったと記しています。

 

「アルスター神話群※1」と呼ばれるアイルランドの神話の中にも女性のドルイドと思われる人物が登場します。

コナハトの女王メイヴのクルーフンの宮殿には、エルネという女性の祭司が仕えていました。また、ク・ホリンは「影の国」に住む魔術に長けた女戦士スカサハに、1年の間、戦術と魔術を習い、ゲイ・ボルグという魔法の槍を授けられています。スカサハとは「影の者」という意味であり「影の国」とはアルバ(現在のスコットランド)をさしています。

 

ク・ホリンと一戦交えようとアルスターへ向かう途中のメイヴ女王の前に、フェゼルマ(フェデルマ)という乙女が現れますが、彼女は自分は予言者でありクロガンの妖精の墓から来たとメイヴに告げ、またアルバで詩と予言を学んだと語ります。その時フェゼルマは黒い馬がひく戦車に乗り、刺繍を施した赤いチュニックとまだら模様のクロークを身にまとい、黄金の留め金のついたサンダルといういでたちでしたが、アイルランドやウェールズの伝統では、まだら模様は異界からのしるしでした。

 

※1

 

アルスター神話群.....一世紀頃、コナハト(コノート)のマックネッサ王の時代のエヴァン・ヴァハが舞台となる物語。コナハトの女王メイヴが夫のアリル王との財産比べに端を発し、光の神ルーグの子ク・ホリン(クーフーリン)が活躍する「クーリーの牛争い」の話が有名。

 

時代はもう少し下りますが、12世紀に書かれた「フィン神話群」のフィアナ騎士団のリーダー、フィン※2は、幼い時に二人の養母に預けられますが、その一人が「女のドルイド」でした。

 

※2

 

フィンの簡単な生い立ちの話は「常若の国(ティル・ナ・ヌグ/マーグメルド)」の「常若の国へいったオシーン」をご覧ください。

 

 

 

3. 聖なる木「宿り木」

 

ドルイド教では樫に寄生するやどり木は神聖なもので、やどり木自身が宿主としてる木(やどり木が生えている木=樫)に神が在ることを示していると信じられていました。やどり木自身が宿木の魂のようなもので、それが現れたものとも考えていたようです。

宿り木が生えている樫は、「神から選ばれし木」のしるしでした。ドルイドたちは樫の木に生えるやどり木を特別神聖視し(樫に生えるやどり木は非常に珍しい)、それが見つかると儀式にのっとってやどり木を摘みに行きました。(冬の、やどり木の開花時であったようです)

 

ポンペイのベスビオ火山の犠牲となったローマの博物学者大プリニウスによると、

「摘み取られる日は月齢6日目で、その日は彼らの月、年、そして30年続く世の初めであり、月はまだその運行の半ばに至ってはいないが、既にその力を十分に発揮している日である。彼らはこのやどり木を「万能薬」という意味の名で呼んでいる(パナケア:panaceaと呼ばれていました)。典礼にのっとり、木の下に生け贄と食事を用意し、白い牡牛を二頭、角を結び合わせて近づける。白衣を着た1人の祭司が木に登り、黄金の鎌(おそらく青銅に金メッキだと思われる)で宿り木を切る。下にいる人々はやどり木が地面に触れないよう、白い厚地の布でそれを受ける。それから生け贄を捧げて神の慈悲を乞い、祈る。人々は、やどり木を不妊の動物に子が授かり、あらゆる毒物に効く薬になると信じているのだ」 人の首に紐でかけただけで病が癒えたと言われ、現代医学でも、不眠症、高血圧、ある種の悪性腫瘍に効くことがわかっています。

 

「神々との約定を結ばなかったため、宿り木は魔力を持っている」という千年のおばばの言葉については、【クリスタル☆ドラゴンに見られる北欧神話・やどり木】をご覧ください。

 

 

 

4. ドルイドになるためには?

 

ドルイドになるには、長い修行が必要で、時には20年にも及んだそうです。バラーの姉エラータは12年で修行をおえた事になっていますが、これはかなり優秀だったということでしょう。

 

ドルイド達は軍務・税金を免除された特権階級であったため、多くの者がドルイドを目指し、また身内からドルイドを出そうと両親や親戚によって修行に出されたようです。しかし出身や家柄の良さ、高い道徳的人格を持つことなどが条件とされたために、選ばれたものにしか道は開かれませんでした。さらにドルイドの教義を受ける資格を得るためには、棺の中に埋葬され、それに耐えて生還すること、また屋根のない小舟に乗せられて、海に流されるという試練を通過しなければなりませんでした。

 

このような修行制度の「本場」はブリテン島で、ドルイドの術を熱心に学ぼうとする者はブリテンまで赴いて修行したそうです。修行の内容は、今日で言うと、神学を含む哲学、自然哲学、天文学、数学、歴史学、地理学、医学、法律学、詩学、演説法などを学びました。

 

修行の場所は人里離れた洞くつや秘密の森の中でした。

教義の伝授は全て口伝で行われ、文字に書き取られることはありませんでした。ドルイドの修行の初めは口誦伝承から行っていたようで、「語り部(フィーレやバード)」を経てからドルイドの修行へ入るという説もあります。(アリアンも「見習い」としてサガの暗唱をさせられていますね)

「文字として残す」習慣がないケルト人にとって、口伝えでの口誦伝承は重要な記録を残す手段で、宗教の教典や法律の規則、戦争の武勲の記録、家系図など部族の歴史は語り部の暗唱によって保持していたからです。

 

なぜ、ドルイド(ケルト人)は書物のような記録を残さなかったのでしょうか?その理由をカエサルはこう推測しています。「書き物にすることで、修行の方法や内容が外部に漏れるのを防ぐためと、書き記すことによって、記憶する力が弱まる(あるいは記憶する努力を怠る)ことを防ぐため」。

ただ、全く文字を書かなかったわけではないようです。

カエサルも「すべての日常の記述にはギリシア語のアルファベットを用いている」と記していますし、19世紀末には、ブルグ近くのコリュニーで、紀元前一世紀~紀元一世紀初期のものと見られる暦が発見されました。青銅板にローマ字とローマ数字で刻まれていますが、ローマ暦とは別のもので、ガリアのドルイドによって記録されたものだと推測されています(リヨン美術館蔵の「コリニ暦」と呼ばれている物です)。

 

各月日を省略語でmat(良い)anm(良くない)と区別して記され、日が良いとか良くないなどを見るのに使用されたようですが、これはガリア地方(フランスを中心としたヨーロッパ)の例であり、エリン(アイルランド)では文字が記録された物は発見されていないのかもしれません。 

 

 

5. ヴァテス(ヴァーティス)、フィーレ、ボエルジ、バード

 

ヴァテス

ドルイドに次ぐ階級として「ヴァテス」があり、彼らは占いの専門職とされていましたが、仕事の内容はドルイドとあまり変わらなかったようです。ドルイドの中でも、階級が低いものをヴァテスと呼ぶという説もあります。

 

フィーレ(filidh:フィーリ)

ヴァテスの次の階級で、語り部のことです。ドルイドが消滅してしまった後も、ドルイドの仕事を一部受け継いで古代からの職能と特権を保持しており、彼らの風刺の威力は17世紀まで残っていたそうです。

フィーレの仕事は見者(予言者)、教師、支配者(族長)への助言、契約の証人など多岐にわたっていました。修業期間は7年以上だったそうです。他にも王をたたえる歌や、(自分に対して親切にしてくれなかった)王をけなすような詩を歌っていました。フィーレの「詩」の威力は強く、王たちは自分をけなすような詩を歌われまいと、フィーレが訪れると盛大にもてなしたと言われています。

フィーレの説話集として有名なのが、ク・フリン(ク・ホリン、クーフリン)を含む「アルスター群神話」とフィン・マックールとフィアナ軍の「フィン神話群」です。

 

ボエルジ

「吟唱(弾唱)詩人」の事で、王の宴で竪琴を奏で、英雄の物語を歌うのが役目でした。

 

バード(baird)

吟遊詩人。ウェールズではアイルランドのフィーレに相当する、学識ある詩人の一般的名称として使われていました。時代が下ってくるとアイルランドでも、フィーレ、ボエルジがバードへと変化していったようです。

 

出典

http://momo.gogo.tc/yukari/dragon/contents/doruide.html