ダ・ヴィンチ・コードで脚光を浴びた「マグダラのマリア」の存在についてオプティ ディ(東方教会)の見解は、聖書にのっとったもので、想像の域に入り込まことのないものだということを以下のコピーによって知ることができます。

 

私自身の見解は、私はキリスト教信者ではないので、宗教的な見解を話すことはできませんが、イエスの使徒は男性の数が圧倒的に多いというところから見ても、かの時代は男尊女卑の傾向が強かったことと思われ、女性使徒がしたためた「聖書」がない点で、女性の地位が低かったように思うというものです。

 

ダ・ヴィンチ・コードだけでなく、例えば、「フランダースの犬」の主人公ネロは、ノートルダム寺院の

レンブラントの絵「キリスト昇架」を見て「思った通りだ」と叫んだ後、凍死してしまうという話ですが。このお話の中で「思った通り」というキーワードをして、「やはり、思った通りだ、マグダラは懐妊していたのだ!」と言いたい作家がいたのではないか?と、思えてしまうのが、アントワープのノートルダム寺院の中のレンブラントの絵ではないかと思います。

 

 

 

 

キリストの足元にいる金髪の女性がマグダラ、左↑にいる青い服の悲しい顔をした女性が聖母マリアと言われています。

右の枠の中にいるのは青い服を着たまだ若き聖母マリア・司祭に赤子を手渡しています。

左の枠の中にいる女性も、聖母と言われていますが、よくみると、髪の色は金髪で身ごもった姿です。

右の青い洋服の女性が、お腹を指さしていて、その背後に3つの手が組まれている姿が描かれ、足元にはパトラッシュならぬ犬の姿。

 

以下出典はオプティ ディのHPより

 28. マグダラのマリアはどのような人ですか?

東方教会においては「亜使徒」(使徒と同等の働きをした者)と呼ばれ、西方教会では「使徒たちへの使徒」と呼ばれています。

 

 福音書から得られる資料は簡単なものです。ルカ8,2が伝えるところによると、イエスにつき従い自分たちの持ち物を出して奉仕した婦人たちの中にマグダラのマリアがいました。彼女の名はマリアと呼ばれ、ギリシャ語でタリケアと呼ばれるマグダラという町の出身でした。この町はティベリアの北5.5kmにあり、ガリラヤ湖に面した小さな町でした。イエスは彼女から7つの悪霊を追い出し(ルカ8,2;マルコ16,9)ました。これは「全ての悪霊」追い出したことを意味します。この表現は悪霊に取りつかれていたと解釈できますが、また肉体的か精神的な病気にかかっていたとも解釈できます。

 

 共観福音書は彼女が、イエスが十字架につけられるのを遠くから見守り(マルコ15,40-41 等.)、イエスが埋葬されるのを見つめ(マルコ15,47)、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で一番重要な人物として語っています。その福音書では以下のことを強調しています。週の初めの日の朝早くマグダラのマリアと他の婦人たちは買ったばかりの香料を持ってイエスの体に油を塗るために墓に戻りました(マルコ16,1-7等)。そこで、一人の天使が彼女たちに、イエスは復活したのでこのことを他の弟子たちに伝えるよう依頼しました(マルコ16,1-7等)。

 

 聖ヨハネは若干異なった形で同じ事柄を語っています。マグダラのマリアは、聖母マリアと一緒に十字架のそばにいました(ヨハネ19,25)。週の初めの日、朝早くまだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行きました。そして、墓から石が取りのけてあるのを見ました。そこで、誰かがイエスの体を取り去ったと思い、ペトロに告げに行きました(ヨハネ20,1-2)。墓に戻り泣いていると、イエスが立っているのが見え、イエスは父である神のところに戻ることを弟子たちに告げるようマリアに言いました(ヨハネ20,11-18)。これは彼女にとって名誉なことでした。そのため彼女は、東方教会においては「亜使徒」(使徒と同等の働きをした者)と呼ばれ、西方教会では「使徒たちへの使徒」と呼ばれています。東方には、彼女はエフェソに埋葬され、その遺体は9世紀にコンスタンティノープルへ運ばれたとの言い伝えがあります。

 

 マグダラのマリアは、しばしば福音書に登場する他の女性と同一視されることがありました。6~7世紀頃からラテン教会では、マグダラのマリアをガリラヤのファリサイ派のシモンの家でイエスの足を涙で濡らし香油を塗った罪深い女性とする傾向がありました(ルカ7,36-50)。他方、一部の教父や教会の著述家たちは、この罪深い女性を、ベタニアでイエスの頭に香油を塗ったラザロの姉妹マリアであると考えました(ヨハネ12,1-11)。マタイおよびマルコの並行箇所ではマリアの名前は出てこず、一人の女性が重い皮膚病を患ったシモンの家でイエスに塗油を行ったと語っています(マタイ26,6等)。結果として、大聖グレゴリオ教皇の見解も影響し、西方教会においては前述の三人の女性を同一視する考えが広まりました。しかしながら、福音書では、ラザロの姉妹マリアと思われるベタニアでイエスに塗油を行ったマリア(ヨハネ12,2-3)を、マグダラのマリアと同一視できる資料は示されていません。また、ルカ7,36-49に登場する罪深い女性をマグダラのマリアと同一視できる資料も見出せません。しかしながら、ルカ福音書では、イエスがその女性をゆるされた直後に、イエスに奉仕する幾人かの女性について述べており、その中に七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリアもいたと書かれています(ルカ8,2)。更に、イエスはその罪深い女性を「この人が多くの罪が赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」(ルカ7,47)と、称賛され、この言葉に呼応するように、マグダラのマリアが復活したイエスに会ったときに示した大きな愛を福音書の記述から読み取ることができます(ヨハネ20,14-18)。これらの記述から、罪深い女性とマグダラのマリアを同じ女性として考えるようになったのでしょう。いずれにしても、マグダラのマリアが罪深い女性だったとしても、その過去は不名誉なことではありません。ペトロはイエスに不忠実でしたし、パウロはキリスト教の迫害者でした。彼らの偉大さは、罪を犯さないことにあるのではなく、キリストへの愛にあったのです。

 

 教会の教父や教会の著述家たちは、マグダラのマリアを、キリストの弟子として、また、福音の宣教者として傑出した女性として扱っています。福音書の中でマグダラのマリアの役割は傑出していたので、初代教会の一部のグループから特別な注目を集めました。それは基本的に異端的なグノーシス主義の影響を受けた人々でした。彼らが残した文献は、復活したイエスが残した秘密の啓示を集めており、その教えはマグダラのマリアを通して伝えられたというものです。そこに記されている内容は、歴史的な裏付けのない物語です。10世紀頃に、マグダラのマリアを称揚する架空の物語が、特にフランスで広まりました。歴史的には根拠のない伝説ですが、それによるとマグダラのマリアとラザロと数人の信者は、キリスト教への迫害がはじまったときエルサレムからマルセーユに移りプロヴァンスで宣教をしたということです。この伝説によるとマグダラのマリアは、エクサンプロヴァンスあるいはサント・マキシムで亡くなり、その遺体はヴェズレーに移されたということです。

 

 

29.イエスはマグダラのマリアとどのような関係にありましたか?

福音書から導き出せる結論は、マグダラのマリアはイエスに大きな愛を抱いていたことです。彼女はイエスにより七つの悪霊を追い出して頂き、イエスにつき従い、自分の持ち物を出して奉仕しました(ルカ8,2-3)。そしてイエスが十字架につけられた時、イエスの母マリアや他の婦人たちと一緒にいました(マルコ15,40-41等.)。

 

 

 福音書から導き出せる結論は、マグダラのマリアはイエスに大きな愛を抱いていたことです。彼女はイエスにより七つの悪霊を追い出して頂き、イエスにつき従い、自分の持ち物を出して奉仕しました(ルカ8,2-3)。そしてイエスが十字架につけられた時、イエスの母マリアや他の婦人たちと一緒にいました(マルコ15,40-41等.)。福音書によると、復活したイエスが最初に現われたのは、涙を流しながら探していたマグダラのマリアに対してでした(ヨハネ20,11-18)。このことにより、彼女はイエス復活の証人として教会の中で尊敬を集めました(「28.マグダラのマリアはどのような人ですか」を参照)。これらの記述からは、彼女が罪深い女であったとか、ましてやイエスの妻であったといったことは推定できません。

 

 この最後の点を主張する人々は、福音書の外典にその拠り所を求めます。恐らく『トマスの福音書』の核心部分を除くと、それら外典は、歴史的な記述になっておらずグノーシス主義の教えを伝えるために、正典の福音書より後に書かれたものでした。

 

 これらの作品には福音書と付されていますが、正確には福音書ではありません。これらの書には、復活後のイエスが弟子たち伝えたとされる秘密の啓示が記されており、マリハムという名の女性(わずかな写本を除いて「マグダラ」という言葉は出てきません)がその啓示を最も理解する者として示されています。従って、彼女は他の誰よりもイエスに愛され特別の啓示を受けたとされています。また、これらの幾つかの文書(『トマスの福音書』、『救世主の対話』、『ピスティス・ソフィア』、『マリアの福音書』)の中で、使徒たちがこのマリアが女性であるという理由により彼女に反感を抱いたことが記されています。これらの記述はグノーシス主義の一部には女性を否定的に捉える者たちがいたこと、また、それにもかかわらずマリアは重要な使徒であったことを反映していると言われています。しかし、ある研究者は、これらの記述は、当時、グノーシス主義と戦っていた正統な教会の態度が反映していると考えています。つまり、グノーシス主義の中から、女性を霊的なリーダーとして立てるグループが出て来たのですが、正統な教会はこれを拒絶したというのです。この意見には裏付けとなるものがありません。その反感の記述は、むしろ教義を巡る論争の表われであったと理解できます。つまり、ペトロと他の使徒たちの教えに対して、マリハムという女性の名で提示されたグノーシス主義の考えが論争を引き起こしたのでしょう。いずれにせよ、マリアを拠り所にするのはグノーシス主義の主張を正当化するための方法です。

 

 他の外典、特に『フィリポの福音書』では、マリハム(ここでは出身地のマグダラの名前も付されています)は、まさに女性であるという理由でグノーシス主義の模範として描写されています。彼女は、キリストに従いキリストと完全に一致することを霊的に象徴しているとみなされています。このような背景から、イエスがマリアに口づけしたことが語られています(文献にはそのように記述されています)。その口づけはキリストとの一致を象徴的に示しており、グノーシス主義にとっては洗礼や聖体にまさる一種の秘跡であり、これを通して自分たちは「グノーシス(神秘的知識)」に生まれると考えていました。これらの記述は性的交わりとはまったく関係がありません。したがって、権威ある研究者は誰もこれらの記述をイエスとマグダラのマリアとの性的な関係の歴史的証言とは理解していないのです。当時のキリスト教徒でさえ問題にしておらず、歴史的にも何ら根拠のない誤った意見が、しばしば新発見であるかのように取り沙汰されることは、とても残念なことです。

 

 

34.ペトロとマグダラのマリアはどのような関係にあったのでしょう?

聖ヨハネの福音書は次のように語っています、土曜日の次の日にマグダラのマリアはイエスの墓に向かい、そして墓を覆っていた石が動かされているのを見てそれをシモン・ぺトロと、主に愛された弟子に伝えるべく走りだしました。

 

 

  その知らせを聞いて二人は墓に向かって駆け出しました、その墓では後ほど戻ったマリアが復活したイエスに会います(ヨハネ20,1-18)。これは福音書がペトロとマリアの関係について語った全てです。歴史的な視点からはこれ以上付け加えることはありません。トマスの偽福音書は、多分西暦2世紀に書かれたもので正典ではありませんが、受難の最後の場面やよみがえったイエスの復活や出現について語り、マリアをイエスの弟子としています。

 

 

 グノーシス派の人々を源とする2次的な文献ではペトロとマリアの対立に関係するいくつかの記述があります。前提として、その文献は歴史的な根拠はなくグノーシス派の教義を伝えるための手段として種々の人物の間の虚構の対話という手段に頼っていることをまず念頭に置いて頂きたいです。マリアの福音書はこのような文献の一つで、そこにおいてマリアが受けた秘密の啓示に対するペトロの無理解について述べられています(参照「マグダラのマリアの福音書は何を語っているか?」)。もっと古いと思われる他の記述はトマスによる偽福音書です。ここでは、シモン・ぺトロの話したことが最後に語られています「マリアを我々から遠ざけろ、女は生きるに値しないのだから」。それに対しイエスは答えています「見よ、私は彼女を男に変えて見せよう、同時に生きる聖霊に変えて見せよう、こうすればあなたたち男と同じになる。このように全ての女は男になり天の王国に入ることになろう」。またPistis Sophia( グノーシス派の重要文献)によると、ぺトロは我慢できなくなり、何故マリアはみんなよりグノーシス派の意味での奥義を理解しイエスにより称賛されるのかとの抗議をしました。「主よ、あの女に話をすることを許可しないでください、なぜなら我々の地位を奪い我々に話をさせなくなるからです」(54b)。(ここでは、しかしながら、ここではマルタと一緒に居るのは、マグダラのマリアではなく、マルタとラザロの姉妹のマリアである可能性があります。ただし二人のマリアを同一人物と考える、可能性もあります)。これらの文献の中では、ラビの考え方の受け継いできた性格がわかりますが、それによると女性は宗教上の教義(ヨハネ4,27参照)を理解できません。同時にグノーシス派の固有の人間観が現われており、これによると女性たちは「秘教の秘儀」の啓示の伝達手段として卓越した場を占めています。

 

 ペトロとマグダラのマリアの関係は、ぺトロとヨハネ、ぺトロとパウロ、ぺトロとサロメ等の関係と同じものであったに違いありません。すなわち、それは教会の前面にいた者とイエスの弟子でその復活後生き返りの証人となり福音書を宣べ伝えた者との関係です。その他の関係は想像上のものです。