そんな現実をクリエイトする彼の使命は・・・

レディーガガが、すばらしく太ることに成功したなと(笑)

アメリカというところは、人の姿をどうしてあんなに変えられるんだろうかと・・・

マイケル ジャクソンしかり・・・

で、

ジョン トラボルタのヘアが、まるでバ―ビ―のボーイフレンド ケンのようになってしまっているのを見てしまったら・・・

植毛でしかないなと、すぐに感づいてしまう。


でも、

そんなことはどうでもいい。

はじめから、彼らはそういう姿だったわけではなく
すばらしいダンスやパフォーマンスを見せてくれているので
彼らのイメージは、初期のものが頭にこびりついていて
今の姿とは異なるイメージが頭の中に展開しながら
その人そのものを見るので

なんか変と思いながらも
受け入れてしまう。

受け入れられない人もいるかも(笑)


見た目は別にどうでもよくて
本当に書きたいことは、ジョン トラボルタが
息子さんの死から3年目で、俳優として映画の世界に帰ってくることを
決心したということ。

辞めようと思ったけど
周囲のサポートがあって、それで立ち直れたんだよ
・・・と。

今朝のイギリスのモーニングショーでは
彼と年齢がおなじくらいのイギリス人インタヴュアーが
元気よくインタヴューをしていて

この人は、年齢にあった禿げ方をしていて、すごく自然に見える。

まあ、
その、見た目はどうでもよくて(笑)

何が言いたいかというと
最愛の息子の死から3年たつと、人は復帰できるけれど
本当に変わってしまうのだなという
そういうことかもしれません。


ジョンは
魂の深みに触れた眼差しに変わっていて
でも、どこかロボットのような動きで
表情があまり変わらない。

何かがストップしてしまったような感じが漂うけれど
それでも、深いところに触れる何かが醸し出されていて
・・・
なんというか
彼がどんな責任を負って、この世界の存在するのかを
まさにコアで認めたような、そんなものが放たれていて

そこにいるだけで、感動してしまう何かを放ちだしている


なんか

もう、昔のジョン トラボルタはいないけど
彼のような生き方をすることそれ自体が

映画俳優が大統領になってしまうことができる体質をもっている
アメリカという国のもつ

デューティーの一つなんだろうなと
思ったわけです。

インタヴューの途中、映画グリースの中で踊っている彼の姿と
プリンセス ダイアナといっしょに踊っている写真が画面に映しだされて

そうだよね

なまじなデューティーじゃないということを
再度、受け取ったんだねと
そんな気持ちになった。

沢山の人に注目されていた過去があるからという
そんなイ―ジ―な責任ではなくて
最愛の息子を亡くしても、立ち上がる姿を、人に見せることが
多くの人を魅せてきたジョンの、もしかしたら、本当の使命だったかもしれないと
そんな風にも思う。

俳優としてというよりも
一人の男性として、一人の親として
奈落の底に落ちても、再び自分の才能をもって人前に出てくる姿
その現実の方を見せることが、非現実であるフィルムの中で演技する彼の
生まれてくる時のヴィジョンだったのかもしれない

だとすると
彼は息子さんといっしょに、今の彼の現実を創造したことになる。

そして、再び3・11に思いをはせる私がここにいて
その私は、ジョンのような人が
何万人もいる今の日本。

きっと、彼のように3年かかるかもしれないね。
でも、きっときっと
なぜ、そういう現実をクリエイトしたのかが深く受け取れる日が来るんじゃないかと思う。

もちろん
被災者の人だけでなく、マイナーな被災者の人も
そして今、瓦礫の焼却などで心を痛めている被災地から離れた北九州の人たちも
みんな
この現実をなぜ、クリエイトしているのかを深く認識するために
今、希有な時間の中にいるのかもしれない。

表は動乱に見えるけど
内側では、何かすごく静かな力強いものがゆっくりと、うねるように動いていると思う。

今日の朝、
ジョンが、そう教えてくれた気がする。

ずいぶん昔、ジョン トラボルタが大天使の役を演じた映画をみたことがある。
そのとき

いやはや、ずいぶん肉付きのよい大天使だなと、ちょぴり苦笑したけれど
今日は
ジョンは、ヨハネの英語読みだったなと思いだしたとともに

エンジェルが植毛して、人々の目の前に戻ってきたんだと
泣き笑いの感情が湧いてきた。

(ただし、この文章はジョン トラボルタについてのことであり、彼の属するチャーチについて言及するものではありません。あくまでもジョンその人についてです。)