西野哲学は・・・スピリチュアル・コミュニケーションだ・・・

昨日は、おもしろいシンクロが沢山あった日でした。

そのシンクロの中に登場したのが、
西野哲学です。

西野哲学は、若い時にさらっと理解したという感のあったものですが

やっぱり

あの時、ちゃんと分かっていなかったのだ・・・

と、今になってよくわかりました。


というのも

というか

いや、それは年齢に関係しているのではなく

実は

どれだけ「経験」しているかということに関係していると思うのですが
まさに

経験が先にあって、自己が次にあるという
その感覚は

私は時間とか次元と言う言葉でくくりながら、理解してきたのだと思っています。

そして、
西野哲学の哲学する方向性が
SI-Vにとても似ている部分があり、

ほっとした感じがします。


このほっとした感じは、実際、私の内側の世界が外に映し出されて出現した哲学と言う形で、私をほっとさせるのです。

そして

数年前にマイケル ポランニーの「暗黙知の次元」に出会った時と同じような
嬉しさと感慨深いものを感じています。

昨日はジョン トラボルタから西野哲学まで急加速で気づきを得た日でしたが

ジョンとは
ヨハネ

やっぱり、福音を運んでくる名前なのでしょうか(笑)

シンクロとして

夫が帰るなり、ジャケットのボタンをはずし

見て!と、中に来ているカモフラージュの(日本では迷彩っていうのですよね)シャツを見せてくれて


今日、ジョンにもらったんだ!

と・・・(笑)

同僚のジョンが、夫がカモフラージュのカジュアルを好んでいることを知っていて
自分は着ないので、あげるよって(笑)


ジョンにはじまり
ジョンに終わったシンクロサイクルでした。