ヴィーナスの秘密 <その1>明治維新からの闇が晴れる?

金星のサイクルに注目したマヤの暦!ドレスデンコーデックス

 

金星のサイクルに関しての筆記は、ドレスデンコーデックスという御経のように蛇腹におりたたまれたものの中に描かれています。

このドレスデンコーデックスには異なる解釈がたくさんありますが、最重要なポイントは、金星が明けの明星として姿を現すということと、金星の4つのサイクルの期間を表す神の絵が描かれていることです。

マヤの数を表す棒と点が束ねられてそれぞれのサイクルが表され。「リングナンバー」として計算されて記録されています。

4つのサイクル
1.明けの明星の顔 236 240日)
2.外合 90日(90日)
3.宵の明星  250 240日)
4.内合  8 14日)
(カッコ内の数字=現代の観測のよる数値)

マヤ人の時代の値と現代のサイクルの値は少し違いますが、各期間の合計である1金星年(会合周期)の日数は、584(583.92)と正確なものでした。

マヤ人は20日が13カ月で260日というサイクルのツォルキン暦も使用していました。

365日のカレンダーの52倍と260日カレンダーの73倍がイコールになる最小公倍数52に値する52年という周期も使われていました。


52年の5倍が260年。

金星と地球の同期するサイクルは8年で、これを13倍すると104年になります。

この104年は52という数の倍にあたり、マヤの暦を使う人たちは、この52年が人生の折り返しとしてみています。(104歳までは生きられると言う考えなのでしょう。)

この、5と8は、金星と地球の周期に関連する数でもあり、金星に意識を合わせる為の数だと思われます。


金星は地球のように傾いて自転しているのではなく、ほぼ直立に回転している惑星です。

おもしろいことに、自転の方向が地球とは異なって逆回りしています。

ですから、もしも、金星にあなたが住んでいるとしたら、朝日は西から昇って、夕日は東に沈むという常識の中に住むことになります。

まったく、逆なのです。

さて、自転の次に注目するべきものは太陽の周りを回る公転です。

ちなみに地球が太陽の周りを一回り公転すると、365日(地球の1年)かかりますが

地球よりも太陽に近い金星の公転は224.6日。

この224.6日に1.618(黄金比)をかけると、約234日となり地球の1年にほぼ近い数字となります。

金星が明けの明星から宵の明星になり、再び明けの明星になるまでの周期(会合)が584日。

この584日を5倍した2920日は、地球の8年に相当します。

ここに5対8という比率が生じます。

つまり、この比率によって8年間かけて5分割された円周状のポイントを金星がめぐる現象がここに出現します。

太陽と地球の間に金星が入って、金星が太陽の表面を通り過ぎる金星食=ヴィーナストランジットという珍しい通過が、2004年6月8日から8年かけて起こり、5分割されたポイントの4点で会合した後、2012年6月6日に2004年6月8日と同じポイントに立ち戻ります。これで金星が8年間かけて空に大きな五芒星(ごぼうせい)=pentagramを描いたことになります。

図1.2004年6/8~2012年6/6
図1.2004年6/8~2012年6/6
図2.1874年12/9~1882年12/6
図2.1874年12/9~1882年12/6

太陽を中心にした金星と地球の会合を図にすると、上のようになります。

図1は、2004年6月8日に始まり今年2012年6月6日に同じ円周状の同じポイントで終了した五芒星。

このように会合が同じポイントになる日にちが8年を隔てて2つのセットとなって5分割しながら五芒星を描いています。

8年もかけてこんなことが天体で起きているということを発見した最初の観測は1631年のことだったそうですが、観測されてもされなくても天体ではこのような8年で2つの日にちがセットになって1世紀に1回ずつヴィーナストランジットが起きていたのです。

図2は、今回の8年の一つ前ヴィーナストランジットのセットの模様で、1874129から1882126までの8年間で図のような五芒星が描かれています。

図の上が銀河の中心の方向なので、今回のヴィーナストランジットは星型のトップが銀河の中心方向にあり、前回1800年代のものは、星型のトップが逆方向になった形となっています。

形を見れば一目瞭然ですが、五芒星の星型を描いているものが正位置、角が上に二つ出ているような形が逆位置とされ、シンボルとしては、前者は人間、魔よけの意味を持ち、後者は獣、魔の意味をもちます。

銀河の中心を用いて説明すると、1874年から8年で描かれた魔の位置が、2012年のトランジットで正位置に戻り、1874年ごろからの世界的な一連の意識のあり方に、ねんらかの変化が起こるはずだとみることができると思われます。

もちろん、宇宙には上も下もありませんので、自分の視点をどこにおくかで、どちらが正でどちらが逆かということが決まってしまいますから、その点にフォーカスしてもあまり意味はありません。

重要なポイントは、「五芒星が逆転した。」という点です。

では、ここからこの逆転の意味を探る為に、一つ前のヴィーナストランジットが起きた時代はどんな時代だったのかを振り返ってみることにしましょう。

すでに、ピンと来ている方もいることと思います。

この時代は、日本にとって大きな動乱の時期であり、今の時代に重ね合わせてみる人も多い「明治維新」に時期と重なっています。

以下の代表的な出来事と照らし合わせてみましょう。

1867年10月 大政奉還
1867年12月 王政復古の大号令

1868年1月~69年5月 戊辰戦争

1868年3月 五箇条の誓文

1868年4月 江戸城無血開城

1868年閏4月 政体書

1868年9月 一世一元の制(明治改元)

1869年6月 版籍奉還

1871年5月 新貨条例

1871年7月 廃藩置県

1871年10月~73年9月 岩倉遣外使節団

1872年8月 学制

1872年12月3日 新暦切り替え=1873年1月1日

1873年1月 徴兵令

1873年6月 地租改正条例

1873年10月 征韓論派の下野

1874年1月 民撰議院設立の建白書
1875年4月 立憲政体樹立の詔
1876年4月 廃刀令
1876年8月 秩禄処分
1877年2月~9月 西南戦争



明治維新をリードした維新三傑の木戸孝允(1877年5月に病死)、西郷隆盛(1877年9月に戦死)大久保利通(1878年5月に暗殺)の3人が逝去してしまった頃に、ちょうど獣の星ができあがったとみることができるとしたら、明治維新とは一体何だったのだろうという疑問が立ち上がってきます。

 

 このように1867年の大政奉還から1877年の西南戦争終結までの一連の改革・事件のことを,日本史の通説では明治維新といいます。(1889年2月の大日本帝国憲法までを含める場合もあります)

 

明治維新で活躍した人々のことや、幕府が終わって行くこと、黒船の到来など、それまでドメスティックな出来事につきていた日本が、開国し、国際的になり、世界の仲間入りをした出来事として捉えることもできますが、その一方、現在の閣僚政治や経済界と癒着した関係や、世界大戦の責任、または、アメリカの属国のような呈をなすこともある日本の基盤ができあがった時期だとみることも可能です。

 

冒頭に書いた、3・11と原発事故の影響は、まだまだ収拾もついていない点などからみると、旧態依然とした考え方に支配された物事の取り扱いがなされているとみることができます。